2021-05-20 第204回国会 参議院 経済産業委員会 第5号
日本の漫画は既に世界で高く評価をされておりますけれども、一般の文学作品につきましても、例えば、柳美里さんの「JR上野駅公園口」という作品がありますけれども、これは翻訳部門の全米図書賞を受賞したりしていますし、また、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」という、これも日本で大変売れた本でありますけれども、こちらがアメリカのニューヨーカーという雑誌のベストブックス九冊のうちの一冊に選ばれたりと、近年評価が非常
日本の漫画は既に世界で高く評価をされておりますけれども、一般の文学作品につきましても、例えば、柳美里さんの「JR上野駅公園口」という作品がありますけれども、これは翻訳部門の全米図書賞を受賞したりしていますし、また、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」という、これも日本で大変売れた本でありますけれども、こちらがアメリカのニューヨーカーという雑誌のベストブックス九冊のうちの一冊に選ばれたりと、近年評価が非常
いろいろな文学作品にも出てきているお店です。真面目にこつこつこつこつやってきたところですよ。では、国会内部はどうですか。国会内でもそういった現象はあるんじゃないですか。国会周辺ですばらしいオムレツを食べさせてくれる方、六十年ののれんをあそこで下ろすんです。 身近なところまでそういった現象は来ている、そういう感覚を我々国会議員は、政府は持たなければいけないのではないですか。
ただ、お話によれば、二一年実施のテストから記述式が導入されるという前提で、これは質問じゃなくて、ちょっと私から意見として申し上げさせていただきたいんですけれども、これは日経新聞で、ある中学、高校の国語の教師が言っている話なんですけれども、二〇二二年度からの新たな新学習指導要領で、例えば国語なんかでもかなり中身がさま変わりするんじゃないか、文学作品だとかそういったものよりも、例えば、ただロジックを追い
文学作品ごんぎつねは、最初から通して読むことでキツネの寂しさ、悲しさ、兵十と友達になりたかった気持ちが理解できる、本文と自由に切り取ることができたとして意味がない、回答に早くたどり着ける技術だけを教えても、日本語の多様なオノマトペや比喩表現の獲得ができるというような教育課程にはならないという現場の先生の声もありますから、しっかりと受けとめてください。
それからあと、さらには文学作品でいいますと、ヘミングウェーの「誰がために鐘は鳴る」、カミュの「異邦人」、サマセット・モームの「月と六ペンス」などなど、結構あるわけなんです。 そこで、大臣に伺いたいんですけれども、日本以外にこの著作権の保護期間の戦時加算という制度を課せられている国がどこにあるのでしょうか。
先ほど冒頭申し上げたところで申しますと、いわゆるコンテンツマーケットの透明性を確保するために、さまざまな手だて、例えば権利の所在とか著作物の内容を明らかにするような、そういうデータベースを確立すると同時に、いわゆる思い切ったライセンススキームというものを構築して、取引費用をできるだけかけないような形にしていくことによって、本来活用されるべき文化資源というものが、文学作品に限らず、利用されないまま残されているように
ドイツのさきの司法大臣であったザビーネ・ロイトホイサーシュナレンベルガーは、ベルリンの講演におきまして、二十世紀の文学作品の八〇%は権利者の探知が困難になる、このように指摘をしております。権利処理コスト、取引費用は少ないにこしたことはございません。 現在、この問題を解決するために想定されておりますことは、権利者の許諾にかわる文化庁長官の裁定制度を一層改善するということでございます。
現行、例えば、インターネット上、スマートフォンでも、いわゆる青空文庫のような形で、昔の例えば夏目漱石の「坊っちゃん」だとか、そういったものが、ネット上からダウンロードして、自由に過去の著作権が切れた文学作品が公開されて読めるような時代で、またそれが文学を親しみやすくしている今の時代だと思うんですけれども、一方で、五十年から七十年に変えてしまうと、この期間がずれることで、一回これがオープンになったものが
そういう文学作品としてアプローチして、子供たちに解説して音読で読ませているような授業であれば、相当すばらしい日本人としての感性、感覚が、古典に親しむことによって、現代文では教育できないようなそういう奥行きの深さまで多分情操教育としても広がっていくのではないかと思います。
そういった漫画だけじゃなくて、今は文学作品も同じように、お互いにここはおかしいんじゃないと言いながら、どんどん翻訳をして勝手にやっている。 これをどうやって抑えていくかというのは、やはり、今回の法改正によってデジタルバージョンを我々が出版権としてはとれるということは大変な武器になります。
さらに、御指摘のように、この事業において、我が国の文学作品を世界に発信する基盤を整備するため、優れた外国人等の翻訳家の発掘や育成を行っており、平成二十二年から平成二十四年にかけて行われた第一回コンクールでは、六名の翻訳家を表彰しているところでございます。
万葉の昔から多くの文学作品に描かれ、また、葛飾北斎の富嶽三十六景や横山大観の群青富士に至るまで、数多くの芸術作品の題材ともなってきました。現在、六月の世界遺産委員会での世界文化遺産登録を目指しているところであります。 富士山は、その豊かな自然と相まって、富士箱根伊豆国立公園に指定されており、年間約二千万人もの観光客や登山者が訪れるなど、多くの恩恵を周辺地域にもたらしています。
実は、明治時代の文学作品には、夏目漱石の「吾輩は猫である」、あの作品にはこっちのうかんむりの「害」が使われておりまして、同じ時代の作品として、森鴎外の「金貨」という作品にはこちらのいしへんの「碍」が使われております。森鴎外というのはお医者さんでもありましたよね。
私も好ましいとは実は思っていないんですが、しかし、古今東西の文学作品には、少女を対象に恋愛を描いているものというのは過去にもあったし、そして、それがまた名作であれば映画化をされた例もあるしということですね。
この調査におきまして、生徒の社会経済文化的背景に関しましては、家庭の学習リソースとして、勉強机、静かに勉強できる場所、辞書、参考書等の有無、家庭における文化的所有物として、文学作品、詩集、美術品の有無、保護者の教育的背景として両親の最終学歴、家庭の社会経済的背景として両親の職業とその内容について調査を行っているところでございます。
したがって、「君」というのを天皇陛下と限定する必要はないというのが古典文学作品の観点から見た君が代の歌の解釈であるということをまず最初に申し上げておきます。したがって、私が言いたいのは、時代によってとか、政権によって、こういった文学作品の解釈が一々変えられてはならないということを申し上げたいのであります。
だったんですが、それはさすがに実現できませんでしたけれども、相当な女権拡張論者が、名立たる人たちがパリ日本文化会館に来まして、日本から来たかなりやはり戦闘的な方も含めた方と討論をして、そうしてその結果として出てきた結論は、少なくとも日本には八人の女帝が古代においていたし、そして、ヨーロッパのフランスなんかがまだ片田舎であったころに、既に源氏物語のようなユネスコが人類の誇りとして指摘しているようなすばらしい文学作品
イノシシとかシカというのが、どれだけいて、どういう文学作品に載っているかというのをちょっと調べてみました。私、余り教養がない方なんですけれども、万葉集に四千五百首ぐらいあるんですが、調べてみましたら、そこにシカが入っているのが六十八ありました。イノシシが十九、猿とクマは一首ずつです。それから、イノシシとシカが身近なのは、猪鹿蝶というので、花札で庶民の遊びとしてありました。
それからさらに、義務規定の免除につきましても、その範囲が報道目的という形で狭く規定をされているために、文学作品などはもとより、ニュース以外のワイドショーなどが広く規制の対象とされてしまうのではないか。
私もそういうものを見たり、それから実際に自分が教科書をそういうジェンダーの視点で見たら、本当にその記述や挿絵やあるいはそこに出てくる登場人物、著者、取り上げられる文学作品などの著者ですね、そういったものが一言で言えば圧倒的に男性が多い。これは今世間、世間といいますか、これまでがそういう社会であったということで仕方がないというような部分もあるかもしれません。
しかし、この裏は、患者であれば、精神障害であれば、例えば文学作品を書いたとて、それは一つの本当の作品としての評価を得ることがない。 実は、私は彼女が自殺する二日前に井の頭公園で彼女と散歩をした後、吉祥寺駅で別れました。八月のお盆のことでした。昭和四十八年でございます。その十日後、彼女が自殺されて腐乱死体でお部屋で発見されたという記事が載りました。